2001年夏合宿レポート

 2001年8月11〜14日、河口湖畔にて開門拳社恒例の夏合宿が行なわれました。
 畑の中の体育館、山の中の体育館などいつもと違った環境や、4日間練習だけに集中する生活も新鮮で、良い経験となったことと思います。
←とうもろこし畑と山と青空ばかり。湖まで徒歩15分。

今年も開門拳社の合宿が行われた。私は、去年に引き続き二度目の参加となった。
今年の合宿のテーマは、「劈掛拳(抹面拳)」と「器械(行者棒または提柳刀)」であった。私が選択した器械は「提柳刀」、行者棒も捨てがたいのだが「刀」はなかなか振り回せないので、今回はそうした。
初日、現地についたのが昼食時であったので昼食後少し休憩を入れた後に練習開始となった。

初日はやはり基本功。今回の合宿は人数が増えた分、また体育館が広い分打ち込む本数が増える、といったまるで夢でも見ているのではという錯覚に陥るような状態であった。よく脱落者がでなかった(私も危なかったが)と関心した。
夜は恒例のごとく「座学」および「宴会」、また今年は「花火」が加わった。座学では内功五行法について、呼吸法、気のながれの意識の仕方についてであった。形だけであったものに意識することにより、これ以上のもの本質に近づくのであろう。もちろん、これは内功五行法だけでなく他のことにも同様であろう。

二日目および三日目はメインである「劈掛拳(抹面拳)」および各々選択した「器械」であった。
「劈掛拳(抹面拳)」においては套路の順番は覚えることができたが、実のところ難しい。体、胯の回し方、腕の振りぬき等、普段動かさないところ動かすようで、気持ちがいい。体の細かなところまで動くようになれば、今までの自分の動作ももっとよくなるのではないかと思う。
無論、「提柳刀」でも套路の順番で手一杯であった。刀ということで常に斬るということ、刃側を意識するのだが、なかなか回らない。握る指が親指、人差し指と日本刀とはまったく反対側なので意識しないと握りがそのようにならず、余計に回らなくなってしまう。
劈掛の動作と刀の動作とでは近いところがあるので、互いにやりやすかったように感じる。

四日目最終日は午前中だけの練習となり、合宿の仕上げであり、器械、劈掛拳、羅漢拳、行劈拳等を行った。

今回の合宿においては、体の動きが小さい等の自分の体の動作についてもっとよく考えていかなければと感じた。また、先生、指導員方、私たち生徒が楽しく仲良くやっていけるこの場で自分自身をもっと伸ばしていけるよう思う。


本部・土曜教室 荒井直樹


2001年8月11日(土)から14日(火)までの4日間、山梨県河口湖湖畔で開門拳社の夏合宿が行われました。今回は、昨年7月から読売文化センターで開講されている「呉氏開門八極 拳」講座の生徒が参加する初めての合宿でした。その一人であるわたしも、少々緊張しながら参加しました。
ちなみに総勢30人強。うち8人が既婚者という若々しい集団です。

■初日
午前中は各自合宿所まで移動するので、練習は午後だけです。
・站椿功・・・じっくりと時間がかけられます。
・「定歩拳1000発超」・・・夏合宿恒例の特別メニューらしいです。今年は、参加者35人×6種類の定歩拳×かけ声10発/ひとりあたり=2100発です。かけ声と続くなか、腕そのものと汗 をすったTシャツのそでが、急速に重さを増していきます。
疲れて力が萎えてくると、絶妙のタイミングで「遅い、もっと早く」「もっと大きく」と服部先生の檄が飛びます。見抜かれたような気がして、慌てて力をふりしぼり、早く終わってくれえ、と心 の中でうめいていました。
・開門八式などの基本功・・・大きな体育館を往復するので、相当の量があります。つくづく基本功の練習不足を痛感しました。
・対打あるいは小架二路・・・参加者の学習進度に応じて、2グループに分かれました。わたしは小架二路グループに参加し、一路と違う激しい動きに驚きながら、当日の練習を終えまし た。
・座学・・・夜になると、食堂で座学が行われました。内容は、八極拳の内功法である「内功五行法」の講座で、みな真剣に聞いていました。翌早朝に実践練習に参加できるので、気合いも入ります。もちろん、座学の後の懇親会に向けても、気合いは入ります。

■二日目
・「内功五行法」の実践
・・・湖畔での実践練習でした。早朝かつ有志といいながら、多くの人が参加してました。

・劈掛拳・・・合宿のメインテーマです。「拳児」の影響が未だに抜けないわたしには、八極拳と劈掛拳の組合せは憧れです。腕を大きく回転させ攻撃する様には迫力があり、必死に覚 えようとするのですが、本質的な問題に直面しました。身体が固くて、劈掛の動きについていけないのです。
それでも、じっくりと何度も教えてもらえたので、どうにか流れ自体は覚えることができました。
・座学転じて花火・・・座学の二回目は臨機応変な対応で花火大会になりました。これでもかというほどの花火が用意され、火に盛り上がる方、巧みに打ち上げ花火を連続点火させる方など、練習中にはない姿を垣間見ることができ、盛り上がりました。

■三日目
・「内功五行法」の実践・・・近くの駐車場での実践練習でした。早朝かつ有志といいながら、多くの人が参加してました。
・武器・・・提柳刀か、行者棒かの選択制で、わたしは棒を選びました。しかし、前日の劈掛拳で頭がいっぱいで、棒を回す原理がなかなか理解できません。それでも、行者初心者同士 で少しずつわかる範囲を教え合ったりしていると、不安定でも棒が回るようになりました。套路はあまり消化できず、時間終了したのが残念です。
・羅漢拳・・・非常に厳しい姿勢が続く套路で、ひたすら辛抱が続きます。個人的には、初日の定歩拳に続く二番目の山場でした。
・座学転じて懇親会・・・二日目に続き、座学が臨機応変に変化して、懇親会になりました。先生が生徒の希望を読みとってくれたのだと思います。

■最終日
初日とは逆に、練習中は午前中だけです。
・行劈拳・・・短くて力強い動作の套路です。以前から興味があったので、必死に覚えようとしましたが、劈掛拳・行者棒・羅漢拳ですでに飽和状態だったので、なかなか頭のなかにりま せん。行者棒に続き、これもまた消化不良気味でした。

・まとめ・・・合宿中の全体を総復習したので、覚えの悪さを痛感しました。今考えると、個々の動作を別個に覚えるのではなく、関連性のある動作や根本的に共通している動作を考えな がら、練習すれば違ったかもしれないと反省しています。

■合宿をふりかえって
体力的には苦しかったものの、服部先生はもちろん、指導員の方や、参加者皆さんの手厚い指導と支援で乗り切ることができました。
貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました。

自由が丘教室・河原塚徹



「今年の夏合宿はヒカケンをやります」というアナウンスを聞いたのは、まだ入梅前のことだったように思う。ずいぶん先のことだなあ、と思ったものだ。しばらくして今度は「合宿では武器もやります。棍か刀」。
 7月の大会の会場で武器を販売していると聞き、まだ早いんじゃ…と思ったものの生まれてはじめて刀なるものを手にした。自分のサイズに刀を切る。金バサミとヤスリを駆使して、住居の外階段の踊り場でガシガシ、シャカシャカとやっていると、通行人たちが口々に「恐〜い」とか「危ない〜」とか「何に使うんですか〜?」とか言いながら遠巻きにしていく。一般人はなかなか間近で見る機会がないのが真実だ。ジリジリ照りつける太陽の下、小一時間で完成した。柳の葉っぱのはずが、だいぶずんぐりむっくりとした形になった。後日、それは鬼の角の刀ですね、とニヤニヤして服部先生。鬼だろうが柳だろうが、自分の手を傷つけながらも仕上げたマイ刀なので、愛着がわいている。
 さて、合宿3日目、刀を習った。つい刀をもつ手に力が入る。切っているんだ、刺しているんだ、えぐっているんだ、というイメージしやすい点にばかりに意識がいって、超近眼になっている。他が見えない。体を忘れている。柄を握る力が強くなればなるほど、手首が硬くなり、肩に力が入る。動きも縮こまる。
 「手元ではなく、刃の先端の方で斬っているように意識をする」。
 刀の先の方を意識するようにしたら、なんだか萎縮している感じがしていた体が開放された。ほんの少し意識を遠くにできたら楽になった。刀の重さが感じられた。
 距離感の重要さは刀だけのことであるはずがない。「指の間からずっと遠くを見るように」や「遠くまで打ち抜くつもりで」「ずっと上の天から糸でつられているみたいに」は常日頃言われつづけていることだ。心してここから向こうへ意識を引き離そうと努力をしない限り、どうしても近眼になってしまう。すっと引いて、今何をしているか、どういう状態なのかを感じることができるようになることは、またひとつのポイントなのだと思う。
 体と刀が別物、てんでばらばら。地に足が着いていないというか、何をやっているのか考える間もなくうわべだけなぞっている状態だったが、不思議と刀の練習は飽きなかった。疲れを感じなかった。休憩がもったいなかった。ぐんぐん引き込まれていく。光物にはやっぱり怪しい魅力があるんだろうか。
 青あざと筋肉痛のおみやげをもって東京に戻った。日々、筋肉痛が薄れ、青あざが消えていくのは、夏が終わっていくような、なんとなく寂しい感じがした。

本部・土曜教室 加清明子


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